「源氏物語」というよりかは「あさきゆめみし」がどれだけいいかについて

 

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読み出したきっかけ

小学三年生の頃、姉があさきゆめみしを読んでおり、真似して読み始めたのがきっかけ。最初は普通の漫画かと思って読んでいたが、いつのまにかどはまり、すっかり愛読書と化した。

 

あさきゆめみしの何が好きか

人間臭さ

あさきゆめみしでは様々な美しい人が出てくる。だが同時にどろどろとした人間臭さが常にただよう。そのなんとも言えない世界観に私はどっぷりとはまってしまった。

私が紹介したい登場人物

私の独断と偏見で、この人だけは紹介したいという登場人物を4人挙げる。
一人目は主人公 光源氏

まあみなさんの想像通り遊び人ってので間違いございマセーン。色々あるんだけどね、そこはまたいつか紹介します。

二人目は紫の上

 一言でいえば、光源氏の正妻(正確には正妻ではない)一番光源氏に愛されていたのではないか、と私は思う。

三人目は六条の御息所

嫉妬の魔女。光源氏を愛しすぎたあまりに人を殺してしまう。

四人目は明石の君

所謂光源氏の浮気相手。左遷されたときの遊び相手って感じだね

 

光源氏

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ここから先はあくまで個人的な見解として読んでほしい。

光源氏は究極の愛を生涯求め続けた人物。
彼の思う究極の愛、その根元には
“ママにもっと愛されたかった”
この強い想いがあるのだと私は思う。
この想いを達成するために様々な女の人達と遊び、ついには幼女誘拐までしてしまう。女性遍歴だけをみると最低男のように見えてしまうが、この背景をもってみてみると、どうだろうか、少し哀れな可哀想な男に見えてくる。彼にとって実の親の愛というものは、追っても追っても追い付かないもの。それに生涯気づかず、親以外に愛される幸せを感じ取れなかった、そんな哀れな男に思えてならない。

 

 

紫の上

私が最も尊敬している人物だ。
何をって、、こんなにも女性としてたくましく生きている、そんな強さに私はひかれた。
小さい頃はおばあちゃんに育てられ、
おばあちゃんが死んでしまったと思ったら、知らないお兄さん(光源氏)につれていかれる。お兄さんお兄さんと慕っていたら、急に寝込みを襲われ、今日から俺の妻になれと言われる。そして妻になったと思えば、旦那は左遷され、左遷先で子供をつくってきて、その子を育てろと言う。極めつけには、正妻を迎えると言われ、自分の立場が何がなんだかわからなくなってしまう。

なんともまあ、あり得ないことばかりおこる。客観的にみたら、いみがわからん。ただ、こんなにふりまわされたのに、紫の上は一途に光源氏を愛し続けていた。普通の人なら(時代もあるだろうが)さすがに嫌気がさすだろう。それにも関わらず、一途に想い続けられる紫の上には、自分が生きていくためにはこの人を頼るしかない、と動物的な本能が働いていたのかもしれない。もしくは、世間を知らず、これが異常だと思わなかったのかもしれない。

どちらにせよ、生きるためにここまで自分を犠牲にできる彼女のたくましさを尊敬している。

 

明石の君

この人もできた女性だ。
光源氏が左遷されたときに彼と恋に落ち、一人の女の子を産む。そう。彼女が産んだ娘を、紫の上が育て上げたのだ。あさきゆめみしで紫の上・明石の君・娘 三人がはじめて顔を合わせるシーン、あれは私の中ではトップ3にはいる名シーンだ。
自分がお腹を痛めて産んだ子を、他の女に育てられる。しかもその女は、自分が愛した男の愛する人。腸煮えくり返るでしょ。なのに彼女は紫の上にはじめて会ったとき、

『こんなに立派に育ててくれてありがとう。』
そういったそうだ。なんてできた女性なの。
不倫騒動だのなんなので騒がれているいま、いつも思う。時代は変わったな、、、

 

六条の御息所f:id:Sukenojo1023:20200213122826j:plain

初めてあさきゆめみしを読み初めてから、つい最近まで、私はこの人が大嫌いだった。だって、嫉妬のあまり人を殺しちゃうって、、、やばすぎでしょ。
ただ、最近になってようやくこの人の気持ちが少し理解できるようになってきた。
愛と憎しみは紙一重とはよく言うけど、まさにこれもそうだと思う。

愛が強すぎる故に過激な方向へ進んでしまう。

六条の御息所の場合はこれが殺しへいってしまった。恐ろしく悲しい結末だ。
ただこれは他人事ではないように私は最近感じる。恋人間に限らず、親子間でもこの現象は起こりうるのではないだろうか。親からの強すぎる愛や独占欲から生み出される過干渉・過保護は近年の問題にも多々挙げられる。つまり、どんな人にも、六条の御息所になる可能性が秘められているのだろう。
ふと六条の御息所のことを思いだした時は、自分の愛が過激な方向にいったいないか、私は立ち止まって確かめるようにしている。

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